『心の病』は病気じゃない!

心の病は、病気じゃない!?

ずっと私自身が書こうか書くまいか悩んだブログです。

うつ病・パニック障害・PTSD/トラウマ・恐怖症・場面緘黙症
・摂食障害・適応障害・不安障害など。
一般的に『心の病気』と言われる症状は克服できるという内容です。

ただ、前置きしておきたいこととして、
私も完全に克服しているとは言えない途上です。
すべてに当てはまるかどうかの専門的な知識を持ち合わせてもいません。
たった1人でも苦痛から抜け出すキッカケになればと思っています。
以前の私なら、『お前は何もわかっちゃいない!』と反論するような
内容になるでしょう。だから、そんな人には読んでいただかなくても
結構です。私の備忘録としてお読みいただければと思います。

病気を治そうと思って気づいたことではありません。

  • 整体を勉強する上で、脳というものが何かしら
    大きなカギとなっていることに気づいたこと。
  • たまたま興味を持った本を読んだこと。
  • 何気にYoutube動画を見たこと。。
  • 経営塾で講師の話をヒントとなったこと。

日常の些細なことが、意図しない形で点が線で繋がったという感じです。

苦しみの全ては、イメージが作り上げた現実だったのです!
(物事が上手く行かないと悩んでいる人は、予備軍です。)

これら「心の病気」と言われるものが年々増える一方、一向に減らない
というのも『治すことは難しい。時間がかかる。』とイメージ
が先行しているからです。
メディアや医師から入らない情報だから、多くの人が抜け出せないのでしょう。

↑  ↑  ↑
自信を持って言えますが、以前は違和感のある言葉でした。
自己啓発本や講習、鬱病を治す書籍などを読んでも根底では
受け入れられない自分があったからです。

作り上げたイメージを変えない限り、この言葉の意味も正確に伝わりません。
そのメカニズムは、分かってしまえばシンプルなものです。
まずは『治すことは簡単。』と思えば良いです。

徐々に説明していければと思います。
まずは、私のことをお話させてください。

私の家庭と幼少期

私は昭和39年4月5日、3人兄弟の末っ子長男として、
この世に生を受けました。

父は財閥企業の工場勤務。母は専業主婦。
8歳上の長女と4歳上の次女、父方の祖母の6人家族です。

父の給料は少ないってほどでは無かったものの、
他の家と大きく違ったのは倹約家の家庭です。

『他所は他所。ウチはウチ。』が毎度の言葉で、
テレビや電話も近所では一番最後だったかな?
欲しいオモチャも欲しいとダダをこねても
通用しない両親でした。

そうかと思えば、家は特注だったり高級ピアノを買ったりで
他所の家にはない物も多くあって、両親の価値観によって
お金持ちと言ったり貧乏と言ったりする家でした。

私は、子供ながらに『家は貧乏なんだ』と思い込んでいて、
欲しい物は10円の小遣いを毎日ためて買う子供だったのです。
逆を返せば、『コレが欲しい』と甘えられない子供でした。

両親にとっては『この子は良い子。賢い子。』の認識だったようです。

人生の設計図は幼少期に形成される
人生の設計図は、生まれてから小学生に入るくらいまでに決まると
言われています。特に親が何気に話したこと、感じ取ったイメージが
大きく影響すると言われています。
後ほど書きますが、「どんな幼少期だったのか?」「どんな家庭環境?」
「親がサラリーマン?」「何人兄弟の●番目?」って考えることが、
ツライ状況から抜け出すためのポイントとなります。
親の影響が大きいのは確かですが、決して責めないでくださいね!
あなたが勝手に感じ取ったイメージなのですから。

うつ病と気づいた日

『変わってる子』と言われ続けた小学生の低学年。

自分では不思議とは思わないのに、何故か周りの生徒と考え方や
物の見方が違うとよく言われることが多かった。

それでも1年2年生までは良かったものの、私の一言で中断・混乱することが
肌で感じると共に、親からは『皆と一緒にしないさい。』と言われる始末。

頭で思っていることとやっていることとのギャップが出始めました。
たこ焼きのような日本の学校を恨んで、アメリカ人になりたいと思った。

高学年になって気分の上げ下げが極端になっていたころ、
『徹子の部屋』に出ていた北杜夫さん(小説家、精神科医)が
ご自身のことを躁うつ病と言っていたことで、自分はコレだと思った。

しかし、小学生の私にはどうすることも出来なかった。

40歳で鬱病が治った?

約10年周期で『死んでしまいたい』と思うほど酷く落ち込み、
就職した会社がマニュアル重視のチェーン店なので、更に悪化しました。
今でもその酷かった期間のことは、思い出せないほど記憶にありません。

そんな時でも勘の鋭い人にはバレていたのでしょうね。
『死んだらアカンよ!』と顔を見るたびに言われていたことは
覚えています。何度かその言葉に救われました。

現在なら『精神内科へ行けばいいやん!』と簡単に思うでしょう。

でも、私の子供の頃にイメージした精神病院というのは、
「黄色い救急車」「キ●ガイが入る病院」「牢屋で出れない」
いう恐ろしい場所です。自分が精神病だと認めることは恐怖でしかなく、
一度も足を踏み入れることは出来ませんでした。

自分で出来ることといえば、宗教的なものに心の拠り所に
するか、関連する書籍を読むのが関の山で心を静めることでした。

そして35,6歳の時に転機がきます。それは霊能者との出会いでした。

霊能者のよると、私の鬱の原因は幼少期にあると言われました。
甘えたくても甘えることが出来なかったことにあると・・・。
極普通の子供に出来たことが、家庭内にあるいつくかの要因で
欠落しているとのこと。

鬱を治すには、欠落したことを再構築するしか方法は無いと
言われ、母との同居が始まりました。

同居をして再構築すると言っても幼児のように甘えるという
ものでなく、お互いに意識しあってた関係をを無意識の
状態にするという感じです。

年々功を奏して、約6年後には感情の浮き沈みは皆無になり、
私は鬱を克服したのです。

と、今年(2016年)まで思っていました。
ある面だけ解消されただけで、完治してなかったのです!

先でそんなことを気づくとは思わずに
その後、私は整体師の道を歩むことになるのです。

病気じゃないと言われた日

3,4年前でしょうか?

BRM療法創始者の吉田邦夫先生が、受講生の質問に答える中で
『鬱・パニック障害などは病気じゃないんです。』と
何気に言われたのがキッカケです。

あれだけ苦しんだものが病気じゃないなんてどういうこと?
尊敬している先生からの発言に驚きつつも、まだ自分の中では
消化できずにそのまま頭の片隅に追いやっていました。

ただし、この言葉がなければ気づくことも無かったでしょう。
それが数年後、ひょんなことからそれぞれの点が線で繋がり、
納得できる答えになりました。

次回は参考になった書籍など、線で繋がる前の点について
お話しようと思います。